今を去ること一千百有余年の昔、弘法大師は衆生済度大願のため四国の各地を行脚し給い、当大洲地方をも御巡錫になりました。 当時この地方は未開のこととて、村落人家至って少なく且つ農繁期にて、宿るに家なく、途中に日暮れて空腹のまま一夜を小川に架けたる土橋の下に野宿され、 夜の明けるのを待ちかね給い、 一夜も十夜の長さに感じられました。かかる艱難を受けられるにつけても衆生済度の念願は愈々切なるものとなり、 御身の苦しみをば忘れ給い生死の六道に生き悩む衆生をして早く信仰の橋を渡らし、 速に常楽の彼岸に至らしめんと大悲の御心をは、生きなやむ 浮き世の人を 渡さずば 一夜も十夜の 橋と思ほう と詠じられ久万菅生山に旅立たれました。 それより十夜ヶ橋という名が起こったと伝えられています。又、遍路が橋の上を通る時、杖をつかないという風習はこの話から起こったものです。 |
寺院名 | 十夜ヶ橋 永徳寺 (とよがはし) |
宗派 | 真言宗御室派 |
御本尊 | 弥勒菩薩 |
住 所 | 大洲市十夜ヶ橋 |
電話番号 | 0893-25-2530 |
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